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  • 2012/07/27
  • 執筆者: Yamaoka (3:24 pm)

『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第43回(最終回)「フィナーレは水野久美」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 最終回である。100回くらいは続けたかったが、またどこかで再開するかもね、しばしお別れ。しかしまあ皮肉なことに最後なのにネタが山のように押し寄せてきちゃったよ。
 何十年ぶりかでデモは盛り上がるし(ジグザグデモは復活しないのか)、「『三里塚の夏』を観る」(DVD付き、太田出版)は刊行されるし、地井武男は急死するし(『非行少年・若者の砦』を公開してくれ!)、報道写真家の鏡・福島菊次郎のドキュメンタリー映画『福島菊次郎90歳 ニッポンの嘘』は公開されるし(8月4日?銀座シネパトス)、傑作テレビドラマ『大都会』が全編DVDレンタル可能になったし、初めて封切りで観た怪獣映画『キングコングVSゴジラ』から50周年の夏休み、とそれだけでも6回分はあるぞどーする? いやいや何にも増してフィナーレにふさわしいネタがあった!
 それは我が永遠のヒロイン・水野久美なのだ。『女優 水野久美』(樋口尚文著 洋泉社)刊行を記念して、水野久美映画祭(8月11日?24日 銀座シネパトス トークイベント&サイン会もあり)が行われる。今まで生きててよかった。わしが水野久美に恋心を抱いたのは、今から47年も前、12歳のときだった。
 その年の夏休みに公開された『フランケンシュタインVS地底怪獣バラゴン』のヒロイン、若手女科学者、顔立ちは派手めで、どちらかというとギャングの娼婦てな感じなのだが、怪獣映画に妙にフィットして、相手役のニック・アダムス(こちらも科学者)に色目を使っていそうで、巨大化するフランケンシュタインの怪物からも慕われているところがグッときた(バラゴンに食われそうになる寸前にフランケンに助けられるシーンが最高)。


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  • 2012/06/27
  • 執筆者: Yamaoka (11:30 am)

『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第42回「スカイツリー開業と錦糸町の立場」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 取材もかねて行ってきたんだ東京スカイツリー。ただしもちろん展望台には上ってない。もっぱらグルメ(B級)がらみで、ソラマメじゃなかったソラマチ行ったり、押上とか業平の商店街散策を何回か試み、食べまくったわけだよ。ただしこの連載は、どの店が美味かったの不味かったのをやるのではないから、スカイツリーの観光客引き寄せ戦略(というか魂胆)と昭和ノスタルジーとのからみで、言いたいことがあるってことさ。
 あのソラマチというのは、ありがちな観光客向けショッピングモールで、東京タワーやお台場(レトロ商店街なんかね)、江戸東京博物館、浅草仲見世あたりの要素はスパイス程度にして、船橋ららぽーとやイオンを混ぜこぜにしたようなボリュームで客を一気に吸収しているわけだよ。おかげで、がっくりきたのはまずは押上商店街でないのか。
 だってスカイツリーにもっとも近い駅は押上だっていうのに、さびれてこのままだと地方都市で見かけるシャッター通り化する運命だった。ところがスカイツリーのおかげで大勢の観光客がさぞや地元商店街でショッピングしていただける、と思いきや、実際ほとんど流れない、こんなはずじゃなかったってかオイ!


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  • 2012/06/06
  • 執筆者: Yamaoka (9:40 am)

『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第41回「ダークシャドウと1972年」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 先日観た映画『ダークシャドウ』(監督ティム・バートン、主演ジョニー・デップ)は、ジョークとパロディ満載の怪奇ホラーものとしても楽しめたが、キモは、ヴァンパイアが200年を経て復活する時代を1972年に設定したことだね。当時の風俗、ファッション、ヒット曲などの空気感が、大時代的なゴシックホラー調と合わさってなんとも味わい深い。
 たとえば屋敷に住む15歳のロック好きとんがりネエチャンが、家庭教師の女を指して「カーペンターズが好きなんて(超ダサ)」とおちょくると、ジョニー・デップ扮する200年前のヴァンパイアが、「大工(カーペンター)が好きだって?」なんて勘違いのやりとりとか、ラブ&ピースのヒッピーたちとヴァンパイアの変なコミュニケーションとか、伝説のロック・ミュージシャンであるアリス・クーパーが本人そのまま登場で歌うとか、いろいろあるので、70年代フリークは見逃せない。その72年といえばもう40年前、連合赤軍事件と沖縄返還の年でおなじみだが、映画に関しては、なかなか面白い年だった。
 当時、高校3年から浪人(予備校は行かず)のこちとらは、シラけた気分を抱えながら、映画三昧の日々だった。映画日誌と星印の採点表をつけて自分だけのベスト10をつくったりしていた。安い名画座、三番館もたくさんあって、夏には「ぴあ」も創刊されたが、御茶ノ水や早稲田などの学生街を歩いていると、よく自主上映会のポスターが貼られていたりして、街頭が情報源だったわけだ。洋画では、『時計じかけのオレンジ』『わらの犬』『脱出』『ソルジャーボーイ』『ダーティハリー』『フレンチ・コネクション』『ゴッドファーザー』『死刑台のメロディ』なんてのがお気に入りの上位で、日本映画は『女囚701号さそり』『現代やくざ・人斬り与太』『狂犬三兄弟』『昭和おんな博徒』『日本暴力団・殺しの盃』『軍旗はためく下に』『白い指の戯れ』『追いつめる』『天使の恍惚』なんてのが上位と、なかなか充実のラインナップだ。


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  • 2012/05/23
  • 執筆者: Yamaoka (12:10 pm)

『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第40回「昭和40年代にはすべてが詰まってた」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 こないだ買って読んだ『現在につづく昭和40年代激動文化(ラジカルチャー)』(伊達政保著 汎世書房)は、記憶が刺激される本だった。発売は1月だが、ずっと気になっていたのだ。著者の伊達政保氏は1969年中央大学入学、激動の時代を全共闘で走り、新宿区役所職員時代に配転に抗議して何と切腹!して懲戒免職、市民運動から河内音頭、ジャズまで文化方面も幅広く、あの時代から現在まで全身カウンターカルチャーを体現してきた先輩的存在だ。
 本書は、1997年から2011年までの時評・文化コラムを編んだものだが、60年代、70年代といった時代区分ではなく、昭和40年代という区分にこだわっているのが面白い。確かに、政治・社会運動からカルチャー全般、風俗・ファッション、メディアまで昭和40年代でくくるとあらゆるもののニューウェーブの推移が詰まっていて、ホンマに分かりやすい。
 しかしだ、たとえば昭和30年代だと『三丁目の夕日』のように昭和レトロで何かと語られるが、昭和40年代はどうしたこうしたはほとんど聞かない。「60年代カルチャー」とか、「1968年の革命」とか、「1972年が終わりの始まり」だとか、何かと意味付与されるのは西暦のくくりだ。こちとら昭和40年代は、小学5年から大学2年までまたがる、まさに物心ついて、上の世代の流行にあこがれながら、最後はシラケの時代でしめるという、ところか。そこでこの10年を特徴づける3つのキーワードで表してみようと考えたところ「エレキ、ホラー、暴力」の3つが浮かび上がってきた。


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  • 2012/05/08
  • 執筆者: Yamaoka (12:30 pm)

『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第39回「夜行バス乗るなら夜汽車を復活しろ」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 例の大事故で、深夜高速格安バスが話題になっているわけだが、まあ規制緩和の悪夢、目を覚ますべきはドライバーだけじゃない、安いからって殺到している客だろう。それにしても最近じゃ、この手のバス旅がやたらと目立つ。その一方で、気がついたら廃れてしまったのが夜行列車だね。
 昔の歌謡曲の歌詞には、恋に破れた女が夜汽車に乗ってとか、かけおちしたカップルが夜汽車にとかいうシチュエーションが多かった。はしだのりひことクライマックスの「花嫁」(1971年)なんて「花嫁は夜汽車に乗って嫁いでゆくの?」だもんね。今だったら「花嫁は終夜高速バスに乗って嫁いで?」なんてことになるのか?しかし、よくよく考えてみたら、何で嫁ぐのにわざわざ夜汽車に乗るのか? 夜逃げでかけおちか、貧乏なのか、どうでもいいんだけど、夜汽車にはバスにはない風情がある。
 ところで、わしは中学、高校とも修学旅行の帰りは夜汽車だったのだ。中学が1968年、行き先は京都、奈良の定番コース。行きは品川駅始発の修学旅行専用電車(確か「日の出号」だったか)で、京都まで途中停車もないのに6?7時間もかかったのだ。これが帰りは、夜遅くに京都を立って、早朝に東京に着くんだが、座席が普通車の固いタイプだからくたびれるんだ。格安高速バスの座席が天国だっていうくらいさ。高校(1970年、2年生)では、さすがに行きは新幹線だったが、帰りはまたも夜汽車だもん。貧しいというか、長閑な時代だったわけだよ。


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  • 2012/04/17
  • 執筆者: Yamaoka (9:50 am)

『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第38回「総会屋媒体が健在だった30年前」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 2012年は〇〇の30年。さて何でしょう。30年前は1982年、この年に何があったかというと、ライターや編集界隈にはピンとくるかも知れない、そうです、総会屋追放の商法改正のあった年。そこで消えていったのが、いわゆる総会屋系の雑誌や新聞、特に『現代の眼』とか『流動』『新評』『日本読書新聞』なんてあたりは、新左翼系の文化人、評論家、活動家、ルポライターが活躍する媒体として賑わっていたのだ。
 面白いのは、革命や反権力を論じる文章の横に、三菱重工や住友生命、三井物産などの広告が載っているんだもん。まあ、おかげでその手の書き手(かつては「売文業者」とか「えんぴつ無頼」なんて言い方もあった)が食えたわけだし、基本的には何を書いてもよかったんだから、アバウトな良い時代だったと言えるかも知れない。
 もう一つ、思い出すのは新卒で就職を探していた頃、上に挙げたようなメジャーな雑誌以外でも、総会屋系の求人がそれなりにあってわしも何社が受けたんだ。
 あの頃(70年代後半)は、今みたいに3年生から就活なんてこともなく、卒業寸前までろくに会社訪問もせず(しかも留年してた)、もう就職といったら、新聞の求人広告頼りだった。まあ、普通の営業・セールスはやりたくないっていうと、業界紙記者やPR誌編集、下請けプロダクション(出版、テレビ制作、CM制作)、広告代理店の営業、なんてのを探すことになる。それこそビルのワンフロアどころか、マンションのワンルームみたいな規模のところが多かったが、倍率は結構高くて(1人募集に100人応募とかね)、しょっちゅう落とされた。
 そんな求人広告のなかで時々、「記者募集 新卒・未経験可 日刊紙 国際政治・経済・社会・文化 〇〇〇」なんてのがあったのだ。会社名は聞いたこともないのに、国際政治も扱う日刊紙ってのは何じゃらほいと、早速電話して面接に出向くと、新聞社にしてはやけに狭い。


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  • 2012/04/05
  • 執筆者: Yamaoka (9:50 am)

『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第37回「酒も飲まずに炭酸飲料なんて耐えられん」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 今回は、ちょいと趣向を変えて炭酸飲料のお話。どこかの記事に、25歳から34歳の男のほとんどは、家に帰って酒を飲まないというのがあってびっくり。職場も忙しくて帰りに一杯なんてほとんどない。大勢での宴会は盛り上がるか、普通に大衆酒場でぼやいたり愚痴をこぼすなんてのオヤジが中心らしい。その代わり炭酸飲料はよく飲むんだと。わしは、炭酸飲料なんて飲むひまがあったらビールを飲むな。特にこれからの季節は昼のビールが美味い(仕事にならんぞ!)。せめて家に帰ってくつろいでいるときくらいビールを飲まんかい! こないだも広告を見てたらフランスから「オランジーナ」(オレンジ果汁入りの炭酸飲料。発売サントリー)ってのがデビューするっていうから、ますます炭酸飲料は勢いづきそうだ。そんなに炭酸飲料を飲みたかったらサイダーやラムネを飲め。これこそ輝ける昭和炭酸飲料のエースだろうよ。
 しかし悲しいことに、両者ともコカ・コーラ、ペプシ・コーラ、スプライト、ファンタ、ジンジャー・エール(カナダドライ)、カルピスソーダなどなどの新興勢力に押されて、特に昭和40年代には、少数派炭酸飲料へと転落した。それでもラムネは、あの独特なビンとビー玉プッシュのスタイルで重要文化財のような扱いを受けレトロブームにものって人気は続いた。ところが、いつの頃からかペットボトルのラムネが登場。

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  • 2012/03/14
  • 執筆者: Yamaoka (12:00 pm)

『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』第36回「1966年と加山雄三ブレイクとは」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 3月11日は郡山の野球場で、加藤登紀子の歌を生で聴いた。加藤登紀子といえば最初の記憶は、今から46年も前、1966年のレコード大賞新人賞を「赤い風船」という、今はほとんどの人が知らない歌で受賞したこと。ニュースだったのは「現役東大生」だったことだね。レコ大新人賞といったら芸能界のアイドルだかんね、それが東大生ってのは前代未聞だったと思う。ちなみに、もう一人新人賞をとったのが、何と荒木一郎(「空に星があるように」)で、二人とも後々は芸能アイドルの枠を飛び越えちゃったもんね。そこでこの1966年という年をあらためて振り返ってみると、いろんな意味で凄いというか大変な年であったことが分かる。ビートルズ来日、エレキブーム、グループサウンズ、早大闘争(全共闘の先駆け?)、相次ぐ飛行機事故、「ウルトラQ」と「ウルトラマン」、怪獣ブーム(大映では、この年だけで『大魔神』が3本も)、そんな中で、今でも現役でやたらと元気な加山雄三が大活躍の年でもあった。
 加山雄三といえば、まずは映画の「若大将シリーズ」である。66年当時、小学6年から中学1年にかけてのわしの同世代(特に男子は)は、東宝怪獣映画の2本立て作品で「若大将」に出会う。たとえば、65年夏の『フランケンシュタインVS地底怪獣バラゴン』の併映が『海の若大将』、66年お正月の『怪獣大戦争』の併映が『エレキの若大将』なのであった。特に『エレキ?』は後々語り継がれる映画だが、加山雄三がエレキで歌いまくり大ヒットした『君といつまでも』も、ヒロインの星由里子相手に「幸せだなあ」という名シーンが忘れられない。ともかく、映画に歌に、加山雄三は1966年を代表するトップスターだったことは間違いない。しかしである。


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  • 2012/02/24
  • 執筆者: Yamaoka (1:50 pm)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第35回)「『運命の人』はどうなの」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 話題のドラマ『運命の人』(TBS 日曜午後9時)を毎週観ている。今年で沖縄返還40年、その沖縄返還協定調印(71年)当時、毎日新聞記者の西山太吉氏が、外務省女性職員から極秘文書を手に入れたことで日米密約の存在をスクープした。ところが、「情を通じて」の機密漏洩ってな展開で犯罪者扱い。「知る権利」をめぐる闘いが、男女のスキャンダルに矮小化されて、という一連のニュース、裁判は今でも覚えている。テレビ化の原作は、あの山崎豊子(もう88歳!)。山崎といえば、『白い巨塔』『華麗なる一族』『不毛地帯』など、社会派エンターテイナーでヒット連発数十年という妖怪みたいな人だが、この『運命の人』でも、その作風はよくも悪くも一貫している。まあ突っ込みどころは満載だが、あれだけの政治的事件が40年を経て、ポリティカル・サスペンスを東芝日曜劇場でやるようになったか、と感無量。しかしいつも思うが、日本映画でもテレビでも、新聞記者というのは、どうしてこうも絵に描いたようなステロタイプになってしまうの。
 『運命の人』で、西山記者(一応、架空のドラマなので、劇中では毎朝新聞記者・弓成亮太)に扮した本木雅弘が、もうガチンガチンの正義漢のキャラクターなのだ。一方、政治家の間をたくみに泳ぐしたたかなライバル(当時、読売の政治部・ナベツネそのものだと、本人も怒ってるらしい)は、これまた絵に描いたようなタイプ。おまけに、週刊誌記者がまた、いかにもそれ風(昔のトップ屋?)で、昔も今も山崎豊子ドラマのキャラクターときたら、政治家から愛人まで、ステロタイプの王道ばかりなのだ。


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  • 2012/02/08
  • 執筆者: Yamaoka (10:20 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第34回)「1968年映画祭での意外な収穫」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 先日「1968年映画祭」とかいうのをやっていて、よくある定番のノスタルジーものかと思ったら、企画したのが日大芸術学部の現役の女子学生たちなんだって。全共闘なんて昔話でも知らないような学生が、どんな風にやってるのか面白そうなので、行ってみました。
 その日は、『死者よ来たりて我が退路を断て』という、知られざるドキュメンタリー。何と、68年暮れから69年1月の日大芸闘委(日大全共闘芸術学部闘争委員会)の面々を撮った記録映画。この映画祭でも上映された、『日大闘争』(全共闘・映画班製作)や、京大を舞台の『パルチザン前史』(土本典昭監督)などは、何度も観たけど、これは初めて。あの芸闘委の闘いのドキュメントを、43年後の現役学生はどんな風に観るのだろうか。会場は、若い人は少なく、昔の闘士らしき初老のおっさんが大勢いて、この雰囲気、旧作の日本映画を上映する映画館(文芸坐、神保町シアター、阿佐ヶ谷ラピュタとかね)の客層に重なるとこ多し。今どきの学生は就活に追われて、68年どころじゃないってか。
 面白かったのは、よくある闘争記録映画というよりは、バリケードの中の日常を主軸に撮っていることだ。集会のアジテーションではなく、とりとめもない軟派な会話や、くだらないジョーク、即席ラーメンをすすったり、正月だからってモチつきをしたり、普通のにいちゃん、ねえちゃんたちが、それこそ機動隊や右翼体育会との激突の修羅場を通して「闘士」になった感じがよく分かる。さらに、芸術学部のある江古田の町でデモをするシーンなど、狭い商店街なのに、なんか買い物客やお店の人々が近くにいて、日常生活と地続きなところがなんだか面白い。


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  • 2012/01/26
  • 執筆者: Yamaoka (10:50 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第33回)「ベイスターズはホエールズの原点に戻れ」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 今回は珍しくプロ野球のお話。というのは先日テレビを観ていたら、横浜DeNAベイスターズの新監督になった中畑清が、横浜市長と会見して「今年はやるぞ!」と吼えてるシーンに遭遇したから。
 何を隠そう、小生は小学校2年(1961年!)のときから、50年間、大洋ホエールズ?横浜ベイスターズのファン。小学生時代は圧倒的多数がジャイアンツファン、野球マンガも主人公はジャイアンツ、生まれて初めて野球マンガに没頭した、ちばてつやの『ちかいの魔球』(61?62年)では、主人公(ジャイアンツ)の魔球を、ホエールズのヘンリー中川という混血の選手(異常に俊足)が打つ。これがカッコよくてホエールズファンになってしまった。
 シリーズ優勝は1960年、ベイスターズは1998年、ここ数年はほとんど最下位でもう負けて当たり前、過去の栄光もはるか彼方。しかしである。ホエールズ?ベイスターズの歴史は、勝ち負けよりもプロ野球は娯楽だという反管理野球、見せ場第一のB級娯楽映画精神に通じるものがあったわけさ。


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  • 2012/01/11
  • 執筆者: Yamaoka (2:20 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第32回)「田原総一朗のテレビドキュメントはお宝ものか」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 正月早々、深夜テレビで、田原総一朗の昔のテレビドキュメンタリーを放映するなんて番組があったので観たら、藤圭子(70年)と永田洋子(73年)を取り上げたドキュメンタリー。ただし丸々放映ではなく水道橋博士やらゲストを呼んでのトークなどが長くて、肝心な本編は少しだけなのが面白くない。というのも、田原の昔の作品が何本かDVDになって順次発売されるので、その宣伝も兼ねた番組だったわけだ。「遺言」だとか言ってるけど、まだ「お宝」はそれなりに残っていた。それにしても昔を知らない人たちは、「へえ?あの田原が、すごい?」なんて驚いているようだが、60年代後半から70年代半ばくらいの、テレビドキュメンタリーは今から思えば、前衛的でラジカルでゲリラ精神あふれるものが沢山あった。なかでも田原が東京12チャンネル時代に手がけた「ドキュメンタリー青春」をはじめとする数々の作品は、わしも高校?大学時代にかけてよく観てたもん。
 今回観た藤圭子なんて、70年当時のトップアイドル、というかまさに「時代の女」だ。それを武田美由紀というリブ運動の闘士(のちに原一男監督の『極私的エロス恋歌1974』で有名になった)をインタビュアーにしているところがみそで、藤圭子のスターらしくない「素」が出ちゃって面白い。ついでに、反安保デモに参加するべ平連の若者や、警備中の機動隊員にも、藤圭子はどうだと聞くところも、いかにも田原のクサイ演出だ。


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  • 2011/12/22
  • 執筆者: Yamaoka (11:20 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第31回)「森田芳光の急死と由紀さおりの1969」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 2012年も大詰めになって、またまた大ニュース。一つは、昨日(21日)の夕刊で知った映画監督・森田芳光の急死(享年61歳!)と、由紀さおりの「1969」(夜明けのスキャット)の国際的ブレイクである。実は、この二つは結び付く。森田の作品のなかでもベストといわれる『家族ゲーム』(1983年)での母親役が由紀さおりだったことだ(父親役の伊丹十三も、家庭教師役の松田優作も逝ってしまった)。
 この頃、由紀さおりの印象は、歌手としては過去の人だったが、ちょいととぼけた母親役が結構良い感じで、なかなかやるのうと思った記憶がある。特に、ラストシーンに、迫り来る意味不明のヘリの音に「何かしら」とめんどうくさそうに反応する演技が絶妙。あの「夜明けのスキャット」から42年、『家族ゲーム』から28年、歳月を経ても由紀さおりはますます元気である。それにしても1969年は、歌謡曲、特に女性歌手の黄金時代だったのだ。
 中学3年から高校1年にかけての、わしの記憶に残っているだけでも、いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」、弘田三枝子「人形の家」、青江美奈「池袋の夜」、黛ジュン「雲にのりたい」、小川知子「初恋の人」、千賀かほる「真夜中のギター」、カルメンマキ「時には母のない子のように」、中山千夏「あなたのこころに」、新谷のり子「フランシーヌの場合は」、佐良直美「いいじゃないの幸せならば」、なんてのが流れていて、さらに70年にかけて、ちあきなおみ、奥村チヨ、辺見マリ、藤圭子、和田アキ子、日吉ミミ、森山加代子、渚ゆう子、と大物が続々出てきて、その後は70年代のアイドル黄金時代に突入する。60?70年代歌謡曲が音楽人生の中核のわしとしては幸せな時代だったのだ。どうでもいいけど、みんな「顔」が個性的だ。最近のAKBあたりの同じような人工的サイボーグ顔とはえらい違いだぜよ。


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  • 2011/12/06
  • 執筆者: Yamaoka (12:20 pm)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第30回)「2011年の昭和カルチャーニュースといったら」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 12月になると、恒例の何とかベスト10とか、流行語大賞とか、このミス大賞とか、いろいろ出てくるんだが、この連載らしく2011年「昭和カルチャー」がらみで、一番印象に残ったこと・ものを一つ挙げよと言われたら、もう迷うことなく情報誌「ぴあ」の休刊(廃刊)だ。わしは19歳の時(1972年)、書店で「ぴあ」創刊号を買ったのだ(最終号にこの復刻版が附録になった)。のちの「ぴあ」からすれば、何とも薄っぺらい、いかにも学生上がりのミニコミサークルが作ったような安っぽい雑誌だったが、ありそうでなかった新鮮な衝撃だった。しかし、面白いのは「ぴあ」休刊で、惜しいとか淋しいと言われたながら、その最盛期(80?90年代か?)は、「こんな情報カタログでみんなアホになる」「批評もコラムのないむなしさ」とか、散々な評判で、いい大人で「ぴあ」なんて買うのは、恥ずかしい風潮もあったのだ。
 もっとも、わしだって70年代後半から80年代一杯は、「ぴあ」はほとんど買っていない。観たい映画のスケジュールは、『シティロード』でチェックしていた。こちらのほうが、映画の採点表(松田政男と中野翠の星が気になっていたっけ)やコラム、インタビューなど読ませる頁が豊富で、映画の紹介文も『ぴあ』よりも、カウンターカルチャーの匂いがしてたんだ。その後『シティロード』は廃刊。一方わしがデビューした『アングル』(主婦と生活社 77年?85年)にも、映画スケジュールは充実していたが、結局、『ぴあ』が生き残って一人勝ちのような感じになった。


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  • 2011/11/22
  • 執筆者: Yamaoka (1:20 pm)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第29回)「スティーヴンキングの話のつもりが」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 今回は珍しく海外文学の話だ。新聞の新刊広告見てたら、集英社文庫の今月の新刊に、あのスティーヴン・キングの『呪われた町』が大きく出ていて、「これぞ巨匠キングの最高傑作!伝説的ホラー小説、待望の復刊」ときたよ。そういえば最近はもうキングはほとんど読まなくなったが、その昔(1980年代頃)は、キングといえば片っ端から読みまくっていた。『呪われた町』はなかでも大好きな本格モダンホラーの吸血鬼ものの傑作で、ハードカバーで購入、今でもちゃんと保存しているぞよ。それで思い出したのだが、この最高傑作が映画になったんだ。題名は『死霊伝説』で、監督があのテキサス・チェーンソー『悪魔のいけにえ』のトビー・フーパーだから、間違いない今年のベスト! とか思うじゃんよ。そうしたらこれが、低予算のTVムーヴィーとかで何とも安っぽいC級映画だったのでがっくりきちゃった。それにしてもキングの映画化は失敗ずっこけが多いんだ。
 今でこそ大御所、国民作家みたいな貫禄のキングも、その頃は、まだまだキワもの扱いというか、キング好きも変わり者扱いみたいなとこがあった。ホラージャンルで映画化されたもので観たのを上げると『キャリー』『シャイニング』『クジョー』『ファイア・スターター』(映画は『炎の少女チャーリー』)『ペットセメタリー』『デッドゾーン』『霧』『クリスティーン』『ミザリー』『死霊の牙』『人間圧搾機』(映画は『マングラー』)『IT』『ランゴリアーズ』なんてところかな。


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  • 2011/11/09
  • 執筆者: Yamaoka (12:50 pm)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第28回)「今だから語れる石川さゆりとの秘話」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 こないだNHKの深夜番組を見ていたら、京都音楽博覧会の様子を放映していた。何人かの注目のアーチストに交じって、今や歌謡界の女王・石川さゆりが「津軽海峡冬景色」を熱唱していたのだが、これがロックコンサート風野外ステージで、オーケストラ演奏ではない環境での着物姿の独唱というのが、一見ミスマッチ。しかしお見事、美空ひばりに迫るビッグアーチストだなあと感激しちゃった。石川さゆりといえば、実は忘れられない思い出があって一つは何と学生時代に直接、本人とテレビ番組に出たこと。それも「津軽海峡?」大ヒット以前の、B級アイドル歌手だった頃(1975年)なのだ。
 もう一つは、石川さゆりが20歳の頃、水俣の患者さんたちが自分たちで企画したコンサートに招かれて歌った記録映画を観たこと。一貫して水俣のドキュメントを取り続けた土本典昭監督の『わが街、わが青春 石川さゆり・水俣熱唱』という映画がそれ(彼女は熊本出身)。
 石川さゆりのデビューは1973年、ベレー帽姿で「かくれんぼ」という、いかにも当時のアイドル少女系ののりでテレビに登場したことを覚えている。当時、「スター誕生」系のアイドル全盛時代で、山口百恵、桜田淳子、森昌子が「花の中3トリオ」で突っ走り、さらに天地真理、南沙織、麻丘めぐみ、浅田美代子、アグネスチャン、伊藤咲子などなど、アイドル歌手がしのぎを削るなかで、石川さゆりは、存在感も希薄で、田舎のB級アイドルってな感じであった。73?75年にかけてコンスタントに新曲は出ていたのだが、どれもあまりヒットせず、まあこのままだと間もなく消えるかなって印象。


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  • 2011/10/25
  • 執筆者: Yamaoka (10:20 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第27回)「ラーメンブームと1971年の革命」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 久しぶりにB級グルメ話題で行くか。先日ラジオで、ラーメンの行列について評論家だか専門家が、いろいろと講釈をたれておって今のようなラーメンブームになったのは1996年あたりが転機だったそうだ。おなじみの「麺屋武蔵」「くじら軒」「青葉」といったニューウェーブ系の店(トンコツだし&魚介だしが特徴、店員の威勢がいい、かっこいい制服、店内にジャズが流れるなど)がブレイクして、ラーメンの世界が変わったんだと。そういえば、人気のラーメン専門店というのは、やたらとスープに凝る、店主がポーズとって構える写真が怖い、店員がみんな若くて声をそろえる、つけめんの大盛りがすごい、トッピングに煮玉子がある、てな感じで、ごく普通の中華屋さんの一番安いメニューにあるような普通のラーメン(中華そば)がともかくやたらと恋しくなってきた。
 今から40年前の1971年、ラーメン世界に革命が起こった。「日清カップヌードル」がデビュー。最初はテレビの「ヤングオーオー」というバラエティ公開番組のCMに流れていたもので、銀座のホコ天(宣伝販売でお湯も次いでくれる)で、歩きながら食べるカップルの姿は、「マクドナルド」(これも1971年に銀座でオープン)と同じ。ただし、当時で100円(今なら400円くらいか)だから結構高かった。有名な話が、翌年の「あさま山荘銃撃戦」で出動した機動隊員が野外で食べてる姿、あれがCM効果で売れ行きアップだったというんだけど、ふ?む。


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  • 2011/10/12
  • 執筆者: Yamaoka (10:50 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第26回)「ジョン・カーペンターにひれ伏す。シネパトスも銀座の鏡」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 ジョン・カーペンター監督といえば、古くは『ハロウィン』『遊星からの物体X』など、「昭和」とB級とカウンター・カルチャーの匂いがプンプンのハードなSFバイオレンス・ホラーの鬼才としてファンも結構多い。わしもほとんどすべての作品を封切りで観てるってくらい、ひいきの監督なんだが、こないだ、何と前作(『ゴースト・オブ・マーズ』傑作!)以来10年ぶりという新作『ザ・ウォード 監禁病棟』が公開されたので早速観に行った。出来はお見事!さすがとしか言いようがない。昨今の内外問わずの見え透いたアクション、サスペンス、CG特撮とは一味も二味も違う、もっとカーペンターを観ろよ、と言いたいところだが、今回力説したいのは、映画の中身のことではない。カーペンターを上映している映画館のことなのだ。
 都心で上映しているのが、あのB級的昭和のローカル風銀座の匂い漂う三原橋の地下街にある「シネパトス」。

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  • 2011/09/27
  • 執筆者: Yamaoka (12:40 pm)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第25回)「昔の不良顔、スケ番顔は何処へ行ったの?」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 前回で取り上げた『恐怖女子高校・暴行リンチ教室』の話で思ったんだけど、1970年代はやたらとスケ番映画が多かった。そして現実にもスケ番風の女子高生というのは沢山いたような気がする。あれは一体いつ滅亡してしまったんだ? こないだ酒飲んでたら「なでしこジャパンのメンバーの顔って70年代のスケ番顔じゃん」てなおじさん話で盛り上がった。確かに、最近あまり見ない顔がそれなりにいる。70年代スケ番というのは、80?90年代の渋谷・原宿・関東ローカルのいずれのタイプとも違って、顔が老けていて、スカートが長く、カバンもぺったんこである。その最後は1983年製作の『夜をぶっとばせ』(曽根中生監督)あたりかな。この映画は、『3年B組金八先生』の校内暴力テーマをさらに深く、甘さを排して寒々しく描いた凄みがあって、70年代東映の荒唐無稽のスケ番ものとは一線を画す。このテの「不良」ものはまた、中学生もののほうが、妙なリアリティがあるのだ。
 そういえば、あの紳助が主役を張った不良映画の傑作『ガキ帝国』(1981年 井筒和幸監督)のなかに、一人だけ中学生不良が登場し、不気味な存在感を見せるのだ。さらに昔、1972年頃深夜テレビで観ただけで、その後、名画座でもビデオ、DVDでも見かけない幻と化した不良中学生ものの傑作を思い出した。『非行少年』(1964年 河辺和夫監督)という日活映画。


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  • 2011/09/14
  • 執筆者: Yamaoka (11:00 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第24回)「『コクリコ坂から』のカルチェラタンは変だぞ」

筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 日本映画の新作で昭和レトロで話題といったら『コクリコ坂』。やっと観てきました。宮崎駿脚本、息子の宮崎吾朗監督ということで父と息子の葛藤がどうだとか記事になっていたが、レトロポイントは、描かれている時代が東京オリンピック前年の1963年だってこと。絵柄からはそれなりに匂ってはくる。ところでこのお話、純朴な高校生純愛物語だというんだが、そのなかに「カルチェラタン」をめぐる「闘争」があるっていうから意外な感じがした。わしはてっきり、道路上に車でバリケードを築いて機動隊とぶつかるのかとハラハラしたんだ。しかし待てよ、時代は1963年、少し早いんじゃないのか。映画のなかの高校生群像は、どうもその頃の青春映画、特に舟木一夫主演(&歌)の『高校3年生』や『学園広場』の世界みたい。肝腎のカルチェラタンというのは、部室がたくさん入った古?い建物で、雰囲気的には、旧制高校の寮に近い。なあんだ、オヤジ=宮崎駿の時代感覚丸出しの、青春ノスタルジーに息子が付き合わされたってわけだ。
 カルチェラタンは老朽化しているので、学校側は取り壊そうとするのだが生徒たちは反対、女子生徒たちも、むさ苦しい「男の園」(ここらが何とも戦前感覚!)に入って掃除したりする。一方、主人公たちは、東京は新橋の徳間書店らしき出版社まで行って、そこの社長だか会長だかで、学園の理事長だか実力者だか(徳間だから、あのヒト?)に直訴する。直訴はいいけど「閣下」なんて高校生が呼ぶんだもん。どこが学園闘争なんだ?


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