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○重大なお知らせ

本HPは6月22日(金曜日)を持って完全移行します!

従来のシステムが古く限界に近づいたため、6月22日(金曜日)からまったく新たなHP(https://access-journal.jp)を構築、そちらに完全移行します。
それと同時に料金体系も一新。個人に関しては月額800円(+税)のクレジット決済のみに統一します。法人に関しては料金体系は従来通りで、銀行振込も可能です。

したがいまして、有料講読入会も6月22日(金曜日)以降は、新しいHPの方でお願い致します(このHPからの入会は絶対にしないで下さい。万一、誤って入会されても返金致しかねます。)

もちろん、すでに入会いただいている方におきましては、最大1年間、このHPは閲覧専用のために残しますし、その間の新規記事も新しいHPと並行し掲載することで不利益を被らないようにしますのでご安心下さい。

本紙「アクセスジャーナル」をいつもご覧いただき、本当にありがとうございます。
これを契機に利便性、セキュリティー、そして記事内容もさらに向上させて行きますので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

最新エントリ
  • 最新エントリ配信
  • 2011/02/17
  • 執筆者: Yamaoka (5:20 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第10回)「ハンパじゃなかった東京の大雪」

 筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 1967、68、69年連続したニュースや社会現象といえば、学生運動、フォーク、ヒッピー、アングラ、グループサウンズ、なんてえのがポンポン上がりそうだが、一つ、忘れちゃいけないものがある。それは3年連続の東京の大雪なのです。つい最近も、東京で2?3センチの積雪で大騒ぎ、転倒でケガ人続出だったらしいが、たかが数センチで何が積雪だ。昔は東京の大雪のスケールもハンパではなかったぞ。
 あらためて調べてみたところ、1967年2月12日は、東京で21センチ、68年の2月16日は、東京で23センチ、69年の3月4日は、東京で21センチ、さらに3月12日は、東京30センチ(東京郊外は実に40センチ)という記録的な大雪が続いたのである。ちなみにこの3年間は、自分の中学の3年間に重なり、よ?く覚えているぞ。その感触は今でもリアルなり。特にすごいのが、69年、3月4日の大雪による積雪が残っているのに、さらに上回る大雪のため、実際には30センチをさらに超える積雪感覚で風景はほとんど雪国、通学は一面銀世界の中を、長靴でズボッ、ズボッと慎重に歩むしかないと、信じられない非日常だったのだ。


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  • 2011/02/03
  • 執筆者: Yamaoka (8:30 pm)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第9回)「中年御三家と1974年」

 筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 先日、珍しく「徹子の部屋」を見ていたら、35周年スペシャル企画として、加藤武、小沢昭一、永六輔の3人がゲストに登場。3人とも、すっかり爺さんになってしまったが、その爺さんぶりがなかなかいい(黒柳徹子の婆さんぶりもキュートである)。考えてみれば、月曜から金曜まで、家で仕事をしているときは必ず聴いてるTBSラジオで、「小沢昭一的こころ」はもう38年、永六輔の「誰かとどこかで」は実に44年になるのだった。そこで、思い出したのは小生がまだ青春真只中の学生時代、1974年には、中年御三家(小沢昭一、永六輔、野坂昭如)のコンサートに、1976年には、「小沢昭一的こころ」の記念イベント(このときに上映された小沢主演映画が『大当たり百発百中』『ネオン太平記』)に行ったことだ。
 この中年御三家というのは、当時40代だった(いまどきの40代とは違って戦中体験もあってか老けていた印象)3人が、たまたま歌のほうも才能があって、おまけに話も面白く、なかでも野坂はこの年に参院選に出馬するなど、硬軟とりまぜての大スターだったこともあって、武道館が満員になったりしたのだ。こちとらが出向いたのは、学習院大学の学園祭で、ピラミッド校舎と呼ばれる大講堂が超満員だった。しかし、この1974年という年は、ドラマチックな年だった。


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  • 2011/01/21
  • 執筆者: Yamaoka (6:20 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第8回)「『ウルトラQ』も、甦れ!」

 筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 今から45年も前(1966年)の1月、小学6年生の小生は、日曜日の夜が来るのを待ち焦がれていた。それは、東宝怪獣映画や戦争映画などでおなじみの特殊撮影の巨匠・円谷英二監督が率いる円谷プロ製作の連続SFドラマ『ウルトラQ』がスタートしたからだ。この頃の日曜日の夜といったら、夕方6時台から『てなもんや三度笠』、『シャボン玉ホリデー』、『隠密剣士』、『ポパイ』(その後は『オバケのQ太郎』)と、人気番組目白押しで、午後7時の『隠密剣士』終了後に満を持して登場したのが『ウルトラQ』なのであった。
 今年の正月も、銀座シネパトスで1日だけの『ウルトラQ』上映と往年の主演者らがトークするイベントがあって、多くの中高年が集まったというが、少年時代にこの番組にはまり、一生ついて回っている中高年は数多い(プラス『恐怖のミイラ』も上げたい)。
 なぜ『ウルトラQ』が、そこまで語り草になるのか。30分1話完結の怪獣中心の子どもだましのお話、映画に比べれば格段に安い制作費からくる貧相さ、これといったスターも登場しない。当時の大人たちは、その後の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に比べて、暗くて地味な印象くらいに思っていたのだろう。しかし、『ウルトラQ』は一流であった。


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  • 2011/01/06
  • 執筆者: Yamaoka (5:30 pm)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第7回)「千家和也よ、甦れ!」

 筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。


  師走のある日、ラジオを聴いていたら、ゲストに作詞家の千家和也が出て、1970年代の頃の歌謡界の話をしていた。
  千家和也といえば、「ひと夏の経験」(山口百恵)「終着駅」(奥村チヨ)「あなたにあげる」(西川峰子)「わたしの彼は左きき」(麻丘めぐみ)「年下の男の子」(キャンディーズ)「そして神戸」(内山田弘とクールファイブ)「なみだの操」(殿様キングス)などなど、1970年代のある時期の歌謡曲・流行歌、アイドルを語る上では不可欠の存在である。
 ただし80年代以降は、ほとんど聞かれなくなって忘れられた印象。同時代に活躍した阿久悠やなかにし礼に比べても、あまり注目されていないようだ。
 番組を聴いてあらためてびっくりしたのは、千家和也という人は、70年代当時はもっとコテコテトンコツ味風のおじさんだろうと思っていたのだが、何と1946年生まれ、全盛時代はほぼ20代後半から30歳くらい。しかも早大時代は、学生運動にはまり、いつも隊列の前へ出ては機動隊に蹴られて痛かった、なんて話まで出てきたことだ。同時代・同世代の作曲家のホープである都倉俊一とえらい違い。
 ところで、なぜ今、ここで千家和也を取り上げたのか。単におじさんノスタルジーではない。歌謡曲・流行歌が廃れてしまったこの時代にこそ、千家和也は、あるいは千家和也的なるものが出てこなければならないのではないか、な?んて思いが新年早々フツフツと湧き上がってきたというわけです。

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  • 2010/12/11
  • 執筆者: Yamaoka (10:00 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第6回)「邦画での警察の描かれ方」

  筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 前回に引き続き、警察・刑事ドラマの昔と今であるが、映画化された『SP』やNHKの『外事警察』あたりが、リアリティ&荒唐無稽パターンのきっかけだと思う。確かに、ひと昔前の、「人情刑事」ものや、「スーパー刑事」ものにはない斬新さはあるが、どうももう一つ、グッと迫るものがない。その理由はどうも警察が相手にする犯人側というか犯罪者・組織、得体の知れないエイリアンでも超能力者でも何でもいいけど、そこがどうも魅力が薄い。おまけに、警察官(大体、刑事だが)の側も「影」がほとんどないからだと思う。
 その昔、1970年代を中心に、映画でもテレビドラマでも、面白い警察ものが結構あった。主人公の刑事・警官役だけ追ってみても『県警対組織暴力』(菅原文太)、『やくざの墓場』(渡哲也)『やさぐれ刑事』(原田芳雄)、『野獣刑事』(緒方拳)、『その男、凶暴につき』(ビートたけし)、『0課の女・赤い手錠』(杉本美樹)などなど。さらに、主人公ではないが、やくざ以上に悪徳ぶりを発揮する『反逆のメロディー』(青木義郎)、『博徒斬り込み隊』とか、ずっこけ警官ものでは『暴走パニック大激突』(川谷宅三)も見逃せない。

閲覧数 (22775)
  • 2010/12/03
  • 執筆者: Yamaoka (7:50 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第5回)「韓国映画の警察の描かれ方」

 筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

  間をあけてしまってすみません。連載再開します。
 またまた映画の話題から入りますが、最近観た新作で、拾いものだったのが韓国映画『黒く濁る村』。数年前、『シルミド』という衝撃作(この間の「北朝鮮砲撃」関係のワイドニュースで、南北対決の隠れた歴史を知る上で好適と紹介)を撮ったカン・ウソク監督の、何とも禍禍しく、殺気に満ちたミステリードラマだ。
 辺境の村で起きた大量死の惨劇から、30年の時を経て、殺人、不可解な死、新興宗教と救世主、村を牛耳る元刑事と元凶悪犯グループ、真相を探る青年、謎めいた村の女、左遷された検事などが、入り組んで、過去と現在をつなぐ異様な人間模様が浮き彫りにされてゆく。
 たとえば、ひと昔前の横溝正史、松本清張、さらには江戸川乱歩ものにも似たところはあるが、韓国映画ではここ数年の、『殺人の追憶』『オールドボーイ』『チェイサー』『母なる証明』などといった、意表をつくサスペンス&不条理&因果応報&社会矛盾といった流れで観たほうが分かりやすい。
 映画の話は、あとは観てのお楽しみとして、一連の韓国映画の話題作を観て感じるのは、警察や検察といった国家権力の末端の連中の描き方が、日本ともアメリカとも違ってやたら面白い。

閲覧数 (20918)
  • 2010/10/12
  • 執筆者: Yamaoka (8:10 am)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第4回)「松方弘樹は不滅です」

 筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 先日、話題の『十三人の刺客』を観た。1963年に公開された同名作品(東映、工藤栄一監督)のリメークで、昔のは1975年頃に名画座で出合い、以降ビデオも含めて4回観ている。集団時代劇といわれるリアリズム重視の集団切り合いの迫力は、モノクロ画面と、殺陣の見事さで今なお色褪せてない。
 それに挑んだ三池崇史監督は、大変な重圧だったと思う。出来は、不満もあるけど、焼肉バイキングのようで楽しめた力作だった。
 さて今回の話題は、『十三人の刺客』の13人のなかで最年長の役回りとなった松方弘樹である。1942年生まれで、もうすぐ70歳、あれだけの大殺陣=集団乱戦をこなすには、さすがに息切れもしようが、なによりこの年でこの貫禄、キャリアともなれば、もっと静かな存在感だけで見せる役を望むのかと思った。それが、斬った張ったで血みどろで息絶えるまで、もう37年も前の『仁義なき戦い』の頃ののりとほとんど変わらない。そこで思いました。あの時代=1970年代のバイオレンス・アクション、あるいはもっと前の、時代劇黄金時代からの、現場感覚を知り、現場感覚で動け、伝統の様式美も含めて、現役でやれるのは、もう松方弘樹だけではないのかって。


閲覧数 (20500)
  • 2010/09/19
  • 執筆者: Yamaoka (4:10 pm)

<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第3回)「映画『キャタピラー』と漫画『光る風』」

 筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。


 やっと見ました。今年最大の問題作、若松孝二監督の『キャタピラー』。映画そのものについては、書きたいことも多々あれど、当コーナーとしては、注目されている作品や現象から喚起される「こだわりの昭和」について書かなくてはならない。
 そこで『キャタピラー』からまず連想するといえば、そのものずばり江戸川乱歩の短篇小説『芋虫』だが、同時に映画を観ながら甦ってきたのが、山上たつひこのマンガ『光る風』のあるシークエンスであった。
 山上たつひこといえば、ある世代以上はまず『がきデカ』であり、『喜劇新思想体系』など1970年代を代表するナンセンス・ギャグマンガの鬼才といったところ。90年代以降は、小説家としても活躍する。『光る風』は、メジャーではまだ無名に近い存在だった1970年に『少年マガジン』に連載され、こちとら(高校2年)も、同時進行で毎週わくわくしながら読んでいたのだった。
 70年当時のマガジンは、急速に「大人化」していた頃で、表紙から特集記事、マンガまで小学生が楽しめるようなものではなかった。そんななかで、ひときわ光っていたのが『光る風』だったのだ。
 物語の背景は現代のような近未来のような架空の日本、そこは治安管理と監視が行き届いた軍事独裁国家で、反体制分子は殺されるか拷問・監禁を覚悟しなければならない。陸将の父をもつ主人公・弦は、そんな体制と家族に反逆し、波乱の人生を送るのだが、兄のほうは軍人として戦地に派遣され、両手両足を失って家に帰ってくる(原因が爆弾などではなくて、味方の米軍が開発したBC兵器による事故だということが、テーマともからんでくるのだが)。

閲覧数 (20670)
  • 2010/09/08
  • 執筆者: Yamaoka (8:40 am)

<新連載>「田沢竜次の昭和カルチャー甦り」(第2回)

 筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。


 前回の「ゲゲゲの女房」でもう一つ、胸に迫る展開が、月刊『ガロ』(劇中では『月刊ゼタ』になっている)がからむところだ。マニアックなマンガ・劇画ファンにはおなじみの月刊『ガロ』は、60年代半ばから70年代初めにかけてが全盛時代だった。
 メインは白土三平の「カムイ伝」で、あとは、聞いたことのないマンガ家が独特なスタイルで売れセン二の次で描きたいマンガを発表していた。のちに、60年代後半の学生運動経験者やその周辺にいた、いわゆる全共闘世代の人たちと話すと、大抵『ガロ』を読んでいたという。よく「片手に少年マガジン、片手に朝日ジャーナル」といわれるが、ここに『ガロ』も加えるべきだろう。一方、『ガロ』のライバル誌といわれたのが虫プロが出した『COM(コム)』で、こちらは手塚治虫が、未完の大長編「火の鳥」を連載していた。
 小生が、本屋でたまたま『ガロ』を立ち読みしたのが中学2年のとき(1967年)、少年マンガ誌にはない異様な面白さとシュールな大人の世界にはまってしまい、以降は毎月欠かさず72年頃までは買い続ける。古本屋に行くと、67年以前のものが格安で売っていたのでちまちまと買いそろえていった。
 テレビでは、村上弘明扮する『ゼタ』の編集長(モデルは『ガロ』編集長の長井勝一)が、売れない雑誌であっても志を貫くさまと売れっ子になった水木も、原稿料なしでこの雑誌に描き続けるエピソードが感動を呼ぶのだが、当時『ガロ』で読んだ、数々の水木マンガは忘れられない。
 さてそのなかで、『ゼタ』を大手出版社から編集長職はそのままで合併しないかとの誘いの話が来る。しかし実際は、白土や水木らの人気作家だけ欲しいというせこい思惑が明らかになり、村上扮する編集長はこの甘い話を断るのだが、実際、当時の小学館(1968年頃)が合併話を進めていたらしい。


閲覧数 (20821)
  • 2010/08/24
  • 執筆者: Yamaoka (6:30 pm)

<新連載>「田沢竜次の昭和カルチャー甦り」(第1回)

 筆者・田沢竜次(フリーライター)。1953年東京生まれ。編集プロダクション勤務などを経て1983年からフリー。85年『月刊angle』連載を基に『東京グルメ通信・B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)を書き下ろし、また文春文庫の「B級グルメ」シリーズでも活躍。B級グルメライターとして取材・執筆を続け今日にいたる。一方、大学の映画サークルで自主上映するほど映画にも精通。著書に「B級グルメ大当りガイド」「ニッポン映画戦後50年」など。

 NHKの朝ドラを楽しみに毎日観るなんてことは、もうウン十年ぶりのことだろうか。評判の「ゲゲゲの女房」のことだ。周りでも欠かさず観ているという人が多い。
 なかでも特に、胸にグッときたのが水木しげるの貧乏貸本漫画家時代からメジャーデビューの転機となった、「テレビくん」が講談社漫画賞をとった頃の展開である。
 この「テレビくん」(1965年夏、『別冊少年マガジン』に掲載)は、数ある水木マンガのなかでも歴史に残る傑作である。
 お話は、テレビ漬けの少年が、ひょんなことからブラウン管からテレビの世界に入ってしまい、CMの画面など自由自在に泳ぎまわり、その新商品を現実世界に持ち出せるといった、当時の子どもたちの夢を体現したようなファンタジー。それが、不思議な転校生と、貧しい少年との交遊を通して、高度成長社会への皮肉や風刺も織り交ぜて描かれる。
 この作品に出会ったときは、こちとら小学6年生、マガジン、サンデー、キングの3大少年マンガ週刊誌に夢中になっていた頃だ。
 戦記、忍者、ギャグ、スーパーヒーロー、スポーツ根性もの全盛の少年マンガ界にあって、水木マンガのタッチやそこに流れるニヒリズムやペーソス、怪奇幻想趣味は、ちょっと異色ではあった。「なんだか凄いマンガ家だなあ」とマンガ好きの友達と語りあっていたら、間もなく、「墓場鬼太郎」が「週刊少年マガジン」で連載開始。メジャー化とともに、「墓場」は「ゲゲゲ」となるのであるが、その後、復刻された、貸本時代の鬼太郎の、B級怪談的なおどろおどろしさや、月刊『ガロ』で連載されていた「鬼太郎夜話」のほうが、本来の水木らしい味が出ていて良い。
 さてこの1965年は、もう一つ衝撃的なマンガとの出合いがあった。それは同じ頃にマガジンで、連載がスタートした楳図かずお

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