- 2011/02/17
- 執筆者: Yamaoka (5:20 am)
<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第10回)「ハンパじゃなかった東京の大雪」


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- 2011/02/03
- 執筆者: Yamaoka (8:30 pm)
<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第9回)「中年御三家と1974年」


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- 2011/01/21
- 執筆者: Yamaoka (6:20 am)
<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第8回)「『ウルトラQ』も、甦れ!」


なぜ『ウルトラQ』が、そこまで語り草になるのか。30分1話完結の怪獣中心の子どもだましのお話、映画に比べれば格段に安い制作費からくる貧相さ、これといったスターも登場しない。当時の大人たちは、その後の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に比べて、暗くて地味な印象くらいに思っていたのだろう。しかし、『ウルトラQ』は一流であった。
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- 2011/01/06
- 執筆者: Yamaoka (5:30 pm)
<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第7回)「千家和也よ、甦れ!」

千家和也といえば、「ひと夏の経験」(山口百恵)「終着駅」(奥村チヨ)「あなたにあげる」(西川峰子)「わたしの彼は左きき」(麻丘めぐみ)「年下の男の子」(キャンディーズ)「そして神戸」(内山田弘とクールファイブ)「なみだの操」(殿様キングス)などなど、1970年代のある時期の歌謡曲・流行歌、アイドルを語る上では不可欠の存在である。

番組を聴いてあらためてびっくりしたのは、千家和也という人は、70年代当時はもっとコテコテトンコツ味風のおじさんだろうと思っていたのだが、何と1946年生まれ、全盛時代はほぼ20代後半から30歳くらい。しかも早大時代は、学生運動にはまり、いつも隊列の前へ出ては機動隊に蹴られて痛かった、なんて話まで出てきたことだ。同時代・同世代の作曲家のホープである都倉俊一とえらい違い。
ところで、なぜ今、ここで千家和也を取り上げたのか。単におじさんノスタルジーではない。歌謡曲・流行歌が廃れてしまったこの時代にこそ、千家和也は、あるいは千家和也的なるものが出てこなければならないのではないか、な?んて思いが新年早々フツフツと湧き上がってきたというわけです。
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- 2010/12/11
- 執筆者: Yamaoka (10:00 am)
<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第6回)「邦画での警察の描かれ方」


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- 2010/12/03
- 執筆者: Yamaoka (7:50 am)
<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第5回)「韓国映画の警察の描かれ方」

またまた映画の話題から入りますが、最近観た新作で、拾いものだったのが韓国映画『黒く濁る村』。数年前、『シルミド』という衝撃作(この間の「北朝鮮砲撃」関係のワイドニュースで、南北対決の隠れた歴史を知る上で好適と紹介)を撮ったカン・ウソク監督の、何とも禍禍しく、殺気に満ちたミステリードラマだ。
辺境の村で起きた大量死の惨劇から、30年の時を経て、殺人、不可解な死、新興宗教と救世主、村を牛耳る元刑事と元凶悪犯グループ、真相を探る青年、謎めいた村の女、左遷された検事などが、入り組んで、過去と現在をつなぐ異様な人間模様が浮き彫りにされてゆく。
たとえば、ひと昔前の横溝正史、松本清張、さらには江戸川乱歩ものにも似たところはあるが、韓国映画ではここ数年の、『殺人の追憶』『オールドボーイ』『チェイサー』『母なる証明』などといった、意表をつくサスペンス&不条理&因果応報&社会矛盾といった流れで観たほうが分かりやすい。
映画の話は、あとは観てのお楽しみとして、一連の韓国映画の話題作を観て感じるのは、警察や検察といった国家権力の末端の連中の描き方が、日本ともアメリカとも違ってやたら面白い。
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- 2010/10/12
- 執筆者: Yamaoka (8:10 am)
<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第4回)「松方弘樹は不滅です」

それに挑んだ三池崇史監督は、大変な重圧だったと思う。出来は、不満もあるけど、焼肉バイキングのようで楽しめた力作だった。

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- 2010/09/19
- 執筆者: Yamaoka (4:10 pm)
<新連載>『田沢竜次の昭和カルチャー甦り』(第3回)「映画『キャタピラー』と漫画『光る風』」

そこで『キャタピラー』からまず連想するといえば、そのものずばり江戸川乱歩の短篇小説『芋虫』だが、同時に映画を観ながら甦ってきたのが、山上たつひこのマンガ『光る風』のあるシークエンスであった。

70年当時のマガジンは、急速に「大人化」していた頃で、表紙から特集記事、マンガまで小学生が楽しめるようなものではなかった。そんななかで、ひときわ光っていたのが『光る風』だったのだ。
物語の背景は現代のような近未来のような架空の日本、そこは治安管理と監視が行き届いた軍事独裁国家で、反体制分子は殺されるか拷問・監禁を覚悟しなければならない。陸将の父をもつ主人公・弦は、そんな体制と家族に反逆し、波乱の人生を送るのだが、兄のほうは軍人として戦地に派遣され、両手両足を失って家に帰ってくる(原因が爆弾などではなくて、味方の米軍が開発したBC兵器による事故だということが、テーマともからんでくるのだが)。
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- 2010/09/08
- 執筆者: Yamaoka (8:40 am)
<新連載>「田沢竜次の昭和カルチャー甦り」(第2回)

メインは白土三平の「カムイ伝」で、あとは、聞いたことのないマンガ家が独特なスタイルで売れセン二の次で描きたいマンガを発表していた。のちに、60年代後半の学生運動経験者やその周辺にいた、いわゆる全共闘世代の人たちと話すと、大抵『ガロ』を読んでいたという。よく「片手に少年マガジン、片手に朝日ジャーナル」といわれるが、ここに『ガロ』も加えるべきだろう。一方、『ガロ』のライバル誌といわれたのが虫プロが出した『COM(コム)』で、こちらは手塚治虫が、未完の大長編「火の鳥」を連載していた。
小生が、本屋でたまたま『ガロ』を立ち読みしたのが中学2年のとき(1967年)、少年マンガ誌にはない異様な面白さとシュールな大人の世界にはまってしまい、以降は毎月欠かさず72年頃までは買い続ける。古本屋に行くと、67年以前のものが格安で売っていたのでちまちまと買いそろえていった。

さてそのなかで、『ゼタ』を大手出版社から編集長職はそのままで合併しないかとの誘いの話が来る。しかし実際は、白土や水木らの人気作家だけ欲しいというせこい思惑が明らかになり、村上扮する編集長はこの甘い話を断るのだが、実際、当時の小学館(1968年頃)が合併話を進めていたらしい。
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- 2010/08/24
- 執筆者: Yamaoka (6:30 pm)
<新連載>「田沢竜次の昭和カルチャー甦り」(第1回)


なかでも特に、胸にグッときたのが水木しげるの貧乏貸本漫画家時代からメジャーデビューの転機となった、「テレビくん」が講談社漫画賞をとった頃の展開である。
この「テレビくん」(1965年夏、『別冊少年マガジン』に掲載)は、数ある水木マンガのなかでも歴史に残る傑作である。
お話は、テレビ漬けの少年が、ひょんなことからブラウン管からテレビの世界に入ってしまい、CMの画面など自由自在に泳ぎまわり、その新商品を現実世界に持ち出せるといった、当時の子どもたちの夢を体現したようなファンタジー。それが、不思議な転校生と、貧しい少年との交遊を通して、高度成長社会への皮肉や風刺も織り交ぜて描かれる。
この作品に出会ったときは、こちとら小学6年生、マガジン、サンデー、キングの3大少年マンガ週刊誌に夢中になっていた頃だ。
戦記、忍者、ギャグ、スーパーヒーロー、スポーツ根性もの全盛の少年マンガ界にあって、水木マンガのタッチやそこに流れるニヒリズムやペーソス、怪奇幻想趣味は、ちょっと異色ではあった。「なんだか凄いマンガ家だなあ」とマンガ好きの友達と語りあっていたら、間もなく、「墓場鬼太郎」が「週刊少年マガジン」で連載開始。メジャー化とともに、「墓場」は「ゲゲゲ」となるのであるが、その後、復刻された、貸本時代の鬼太郎の、B級怪談的なおどろおどろしさや、月刊『ガロ』で連載されていた「鬼太郎夜話」のほうが、本来の水木らしい味が出ていて良い。
さてこの1965年は、もう一つ衝撃的なマンガとの出合いがあった。それは同じ頃にマガジンで、連載がスタートした楳図かずお
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